南大東島に行ってきた(第1回・歴史編)

南大東島に行ってきた。

行ったことの無い人が多いと思うので、紹介も兼ねてブログ記事にする。

その第1回として、まずは南大東島の歴史を紹介する。

 

南大東島と言っても場所が分からない人も多いと思うので、そこから説明しよう。

沖縄本島から300km以上東に位置していて、経度では北九州市と同じぐらいだ。

那覇空港から1日2往復の定期便が就航しており、片道約70分ほどかかる。

南大東島北大東島が双子のように並んでいて、その間は約8kmと非常に近い距離にある。

なので絶海の孤島というわけではないが、沖縄本島や「本土」からは随分と離れたところに位置している。

 

ところで私が南大東島に興味を持ったのは随分前のことで、かれこれ10年以上経つはずだ。

ヤフージオシティーズのウェブサイトが盛んだったころ、吉田一郎氏(現さいたま市議)の「世界飛び地領土研究会」のページは隅から隅まで読み潰した記憶がある。

トップページには「世界地図を眺めているとナゼか気になる飛び地や、飛び地のような小さな植民地/その他各種の怪しい地帯を研究しています」と書いてあるが、吉田氏のウェブサイトの面白いところは単なる飛び地だけに留まらず、「その他各種の怪しい地帯」まで幅広く紹介していたところだ。

 

その中で東インド会社などの会社統治領を紹介しているページがある。

もっとも東インド会社はメジャーすぎて紹介されていないのだが。

北大東島も会社統治領の一例として取り上げられている。

この島の歴史が特異である点は吉田氏の文章に譲るが、簡単にまとめると、江戸時代まで無人島であった島が明治になって開拓されたが、終戦まで町村制が施行されずに民間企業によって島の自治が行われていたという極めて稀な地域であった。

会社統治領(無人島開拓編)

 

北大東島の開拓者は八丈島からやってきた玉置半右衛門たちである。

彼らはこの島でサトウキビプランテーションを始めたが、その労働力は沖縄諸島等からの出稼ぎによって補われた。

 

定住者である支配層が八丈島出身者であったため、島の文化には八丈島由来のものが色濃く残っている。

その一例が八丈島の郷土料理である「島寿司」が南北大東島でも食されている。

サワラなどの魚を醤油に漬けたもの(いわゆる「ヅケ」)を砂糖が多めの酢飯に乗せて食す。

食材はどこでも手に入りやすいものなので、最近は沖縄本島でも販売されているようだ。

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また一方で沖縄といえば久米島八重山諸島でも地のものが作られている泡盛だが、南北大東島には「地泡盛」が無い。

では昔は何を飲んでいたのかというと、調査中で分からない。

八丈島は焼酎文化なので、昔は大東島でも主に焼酎が飲まれていたのではないかと考えている。

現在の八丈島では麦焼酎が主流だそうだが、明治時代は芋焼酎が殆どだったと考えられるので、大東島でも焼酎が飲まれていたとすると芋が多かったのではないか。

その流罪人の1人、丹宗右衛門による芋焼酎造りの指導と島の住人の菊池秀右衛門がさつま芋の普及したことによって八丈島芋焼酎がもたらされました。しかし、1975年の台風による芋畑の壊滅的な被害や、嗜好の変化などによって八丈島酒は麦焼酎が主流になっていったのです。

第4回 ひょっこり八丈島・東京の島酒 | 本格焼酎と泡盛

 

さて会社統治の象徴的なものとしてよく語られるのが、「大東島紙幣」である。

戦前の南北大東島では大日本帝国の通貨ではなく、民間企業が発行した紙幣(正確には「物品引換券」)が流通していたというのだ。

サトウキビプランテーションの労働者たちは会社から給与として「物品引換券」が支給され、島内のあらゆる商品・サービスを購入する際にはこの「物品引換券」で支払われた。

これは事実上の通貨であると言ってよいだろう。

 

実はこの悪名高い「大東島紙幣」はほとんど現存していないらしい。

その貴重な1枚が島内の「ふるさと文化センター」で保存展示されている。

南大東村立ふるさと文化センター

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昭和16年ごろまで流通したそうだが、恐らく大日本帝国の通貨と交換された後は、文字通り「紙屑」となったわけで、戦時下ゆえに収集家の手に渡る間もなく廃棄されたものが殆どではなかったかと容易に想像できる。

 

南大東島の主産業は今でもサトウキビ農業と製糖業である。

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この見渡す限り一面がサトウキビ畑であり、サトウキビ以外の作物を見つけることは難しい。

 

しかし残念ながら南大東島産のサトウキビから作られた砂糖はその殆どが島外で消費されており、その砂糖が南大東島産として知られていることも殆ど無い。

最後に、南大東島のサトウキビを初めてブランドとして確立したベンチャー企業を紹介して第1回の歴史編の筆を擱く。

 

サトウキビを主原料として作られる酒として、有名なものが2つある。

黒糖焼酎ラム酒であるが、酒税法等により黒糖焼酎奄美群島で製造されたもの以外、リキュールとして扱われる。

リキュールは焼酎に比べて酒税が割高となるため、奄美群島以外で黒糖焼酎が製造されることは少ない。

ラム酒もリキュールとして扱われるが、黒糖焼酎とは別の酒類としてブランドが確立しているため、サトウキビの産地で「地ラム酒」として作られることが増えてきた。

沖縄と同じくアメリカ統治下にあった小笠原諸島もその1つである。

小笠原ラム・リキュール(株)小笠原とラム酒

 

南大東島では2004年からラム酒の製造・販売が始まった。

その製造者は全くの異分野である沖縄電力社内ベンチャー制度を使って作られた会社なのだ。

会社のご案内 | グレイスラム

この「グレイス・ラム」社の製造・販売するラム酒は非常に評価が高いらしい。

それは世界でも珍しい「アグリコール製法」によるからだ。

 

アグリコールとは農業生産ラムという意味で、サトウキビを搾り、その「サトウキビ汁」を発酵させて造るラムです。

世界でもこのラムアグリコールを製造している国やメーカーは非常に少なく、希少性の高い商品とされています。
ちなみに現在、ラムアグリコールを製造しているのは、主にマルティニーク、レユニオンに代表されるフランス海外県、そして太平洋に浮かぶ、ここ南大東島(グレイスラム)。

しかも、グレイスラムのラムアグリコールは無添加・無着色仕上げで、さらに希少性が高くなっています。

サトウキビの収穫時期に合わせて、一年に一度しか造れないのもまた貴重なラム酒といえるでしょう。

商品について | グレイスラム

 

一般的なラム酒は、サトウキビの搾り汁から砂糖を精製する工程において副産物としてできる糖蜜を発酵させて作るのだが(これを「インダストリアル製法」と言う)、搾り汁から直接発酵させるのが「アグリコール製法」というわけだ。

ラム酒のブランドと言えばバカルディなどが有名だが、あれらはみなインダストリアル製法だそうだ。

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島の居酒屋で一杯いただいたが、とても上品な甘さがして、ラム酒のイメージが変わった。

今では沖縄本島でも販売されているし、ネットでも購入できるのでぜひ味わって貰いたい。

 

とりあえず第1回はここまで。